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懐古的日本文学

主に近代以降(明治・大正・昭和)の日本文学、大衆小説の紹介や勝手な分析と感想、その他人文社会学系の本の紹介も。

カテゴリー "女流作家" の記事

⑫「私の東京地図」佐多稲子/1949年

「私の東京地図」佐多稲子 1949年(昭和24)
~東京の街と共に歩んできた「私」の人生地図~

 プロレタリア作家として、労働者の立場から社会を描いてきた彼女の自伝的小説。
 終戦の翌年から連作として発表し始めた本作は、社会批判や主義主張があまり強くなく(ちょっとはあるが)、一人の市井の女性の物語として、気負わず読むことができる。

~あらすじ~
 終戦後、焼け野原の東京に立った「私」は、自分と東京の街の思い出を回想し始める…。


①東京と移り変わるまち
 人々の暮らしや仕事や生活習慣などは、当たり前のこととして常にそこにあるので、わざわざそれを意識して生活している人はあまり多くないと思う。
 移りゆく街や人々の様子など、意識して観察し、日記などに残さない限り、長く記憶に留めることは不可能だろう。

 特に東京はとても変化が激しい街である。そのスピードたるや、世界でも指折りのレベルだろう。
 彼女が生きた時代、東京は何度も災禍に見舞われた。関東大震災や火事、最終的には空襲によって、原型を留めないほどになってしまった。
 そんな時代の東京の風俗を、著者は精巧な筆致で描き出している。
 過去のことをこんなに細かく描いていることに、まず驚く。
 かなり若い頃より、作家としての観察眼を持っていたのだろう。細かく日記をつけていたのだろうか。はたまた記憶力が人並み外れて良いのだろうか…

 都会人の人つきあいのいい反面、気弱に引っ込みがちなのは、必要以上に人の気を兼ねるわずらわしさからに逃げようとする傲慢さでもあったのだ。P.165

 仕事のため、途中からは思想運動のため住む場所を転々とする「私」。
 放浪する定めにある「私」は、人づきあいに淡泊だが、昔の事だから、生活の中では下宿の家主や近所の人々、同僚、活動の仲間などと否応なしに関わりあわなければならない。
 この小説全体からは、忙しい中でも日々の暮らしにかかわる街や景色、また短い間でもかかわった人々への強い愛着が感じ取れる。
 いくら日記を付けていたとはいえ、街や風景、お店の立地の細かさに加えて、人の表情や服装、会話などを映し出す丹念な書きようがすごい。


②「私」の強い自尊心
 自負心というものは、その字の通り、自らだけのものにすぎないのだと気がつく。外側から見られた私には、私自身が私に頼んでいるように、特殊などということはありようがない。P.77 

 「私は他人とは少し違う。でも、ほかの人から見れば、その他大勢のうちの一人にすぎない」
 このような思いは、多くの人が持っているものではないかと思う。
 自分は特別であるという自負心。そして、その特別さがわからないひと(特に尊敬している人、著名人)への失望。
 小説家やアーティストはその感情が一層強いのだろう。
 「私」の中には、ハイカラと粋を併せ持った独特の好み、文壇への憧れがある。
 「私」は、一風変わったインテリ趣味や嗜好によって、仕事場のほかの人とは違う自分自身を感じている。

 「立派な雑誌ですのね」私は、本郷や田端に流れる一脈の清風に、頬を撫でられるおもいをした。小石川を含めて本郷や田端というところには、いつからか私の感情の中に郷愁に似たおもいをそそるものがあるのだった。P.14

 そして、この自負心=自己愛でもある。
 「地図」というだけあって、この小説は風景描写、そこに住む人々の様子が丹念に描かれているのだが、気にして読むと、まちの風景の中に映し出されている「私」の姿や、仕事場での「私」の様子もよく描いている。容姿や衣装、髪型の説明は言わずもがな。これは、私は他人とは違うということを表すのに、細かな説明の必要性があるのだろうが…

●風景の中の「私」
 私が印象深かったのは、風景の中の「私」を描くという表現方法である。

 「灯に照らし出された私のうしろ姿の、女店員の風俗にしては帯の結び方が低い、ということなどは誰も気が付かない」p.86
 「私はつるつると足を滑らせる。(略)すれ違う人には女の愛らしい声が聞こえたに違いない」p.129、「私は(略)電車から降りてくる。鏝をあてた耳かくしに化粧をした顔が白い」p.162

 景色の中で、私がどう映ったのかを客観的に何度も描いており、まちの景色とともにその瞬間、瞬間の自分を切りとるというふうである。それやこれや、またそのほかのいろいろな描写から、「私」はかなり自分がいとおしいのだろうと感じた…

●ファッションと自負心
 外から見れば何でもない女店員のひとり、自分にとっては、自分なりの色合を持った娘である。P.86

 「私」は、みんなと同じような格好でいなければならない仕事場においても、衣装や髪形に自分なりのこだわりをもっている。
 料亭ではみんな黒衿をかけるのに、「私」だけは、えんじ色の襟をかける。
 丸善では、ほかの女定員のように胸高に帯を締めず、わざと帯の結び目を低くし、それまで束髪が当たり前だった髪から、こてをあてたウェーブ髪にする。

 これらは、仕事着に自分だけのひそかな楽しみを作ろうとする、単にファッション好きな女性らしい意識ともとれるが、おそらく画一的に型にはめようとする組織(会社)や社会に対するささやかな抵抗でもあるのだろう。
 この「抵抗、反発」というのは、「私」の感情に深く根付いていて、のちの思想活動にもつながっていく。

 私には権力に反発する強情なものがその底にいつもくすぶっている。p.190

 文壇へのあこがれと労働によって支えられた「私」の巨大な自負心は、やがて、同人作家兼思想活動家の男との同棲、文筆業や思想活動につながっていく。

東京地図


・引用文献:「私の東京地図」佐多稲子 講談社文芸文庫(2011)

⑦「第七官界彷徨」尾崎翠/1931年

「第七官界彷徨」 尾崎翠 1931年(昭和6)
~文系少女と風変わりな理系兄達との日々~




 数篇の小説を発表した後、文学界から姿を消してしまった尾崎翠の代表作。
 まず、タイトルに惹かれてしまった。尾崎女史はタイトル付けが非常に上手く、モダン。最初に読んだのは、「アップルパイの午後」だった。

 …本作を一言で評するのは難しい。今まで読んだどんな近代文学とも違う、独特の雰囲気を放っている。明治生まれの尾崎女史だが、ハイカラでモダンで、理系ネタがいっぱい。小難しい会話にも、どこかユーモアがある。
  時代的に大学を出ている人でないと知り得ないような(当時の)最新科学知識が、色々詰め込まれている。
心理学、精神医学、植物研究、進化論などに始まり、第六感(この時代からそういう概念があったのかい…)、フロイトの夢診断のような会話まで出てくる。
 女史の幅広い分野への知識にただただ感服。
 主人公・町子も、第七官を定義付けしたりしょっちゅう色んな事を考察したり分析したりと、もはや研究者っぽい。
 実際に著者が、帝大で肥料の研究をしていた兄の元に下宿していたらしく、その体験が活かされているのだろう。

 まず、冒頭からして、おしゃれでふるってる。
「よほど遠い過去のこと、秋から冬にかけての短い期間を、私は、変な家庭の一員としてすごした。そしてそのあいだに私はひとつの恋をしたようである。」p.82

~あらすじ~
 上京してきた小野町子は、二人の兄と従兄の炊事係となった。長男の一助は心理病院に勤め、次男の二助は大学で植物の恋を研究している。従兄の三五郎は、音大浪人生。
皆変わり者だが、それぞれ勉強に励んでいる。町子は、人間の第七官にうったえるような詩を書くことを目標と定めたが…


●見どころ(以下物語の内容を含みます。)
①少女漫画的世界観

 本作はタイトルからしても空想的で、内容も昔の少女漫画っぽい。
なんか大島弓子の漫画のようだ。文章から乙女チックなイラストのイメージが湧いてくる。
この小説の、何がそう感じさせるのか。その要因を以下にまとめてみようと思う。

・優しい男性像
「どうも女の子が泣き出すと困るよ。チヨコレエト玉でも買ってきてみようか」p.102

  尾崎女史の書く男性はなんか現実的ではなく、理想的だ。
 皆変わってはいるが、優しくて、口調もきつくない。
 研究一徹の草食系男性だからかもしれない。
 「料理しろ、片付けをしろ」「女の子はすぐ泣く」とか文句も言うが、朝たびたび家族で合唱するところなんか、本当に楽しそうだ。
 また、兄達は町子のことを「女の子」と呼ぶ。当時の男性はあまり使わなそうな言葉だ。しかも妹に対して…
 実際に著者の兄たちも優しくて、可愛がられて育ったたのだろう。
 ここら辺は、実体験を元に男性の嫌な部分を書くことが多い、林芙美子や円地文子などとは対称的で読後がさわやか。

・紅一点のおさんどん
 優しい男達の中に、女の子1人で同居。(兄弟と従兄ではあるが…)しかも大事にしてもらっている。町子が泣いていると不器用に慰めてくれる。(町子はよく泣く...)このシチュエーションがもはや少女漫画。

・人生の深い苦悩よりも、恋患い
 町子の兄や従兄は、それぞれに難しい研究をしているが、浪人生の三五郎や心理病院に勤めている一助でさえ、あまり深刻になることがない。
 むしろ一助は恋患いに悩み、二助は失恋が発端となり、植物の研究を始めたりしている。三五郎は二人の女の子の間で揺れ動くし、町子も失恋したり新たな恋をしたりする。
 これらの描写のさまが、現実の痛みよりも、どこか夢の中のような出来事に感じさせる。みんな一時は切ながるが、淡々としている。

・愛憎や情欲の生々しさがない
 これは重要ポイントである。可愛い昔の少女漫画は、あくまで女の子の「夢」であるから、男性との接触も接吻まで、それ以上は忌避される。(近年のは違うと思うが…)
 町子と従兄の三五郎の関係は、まさに少女漫画のそれである。

  町子が三五郎に夢を打ち明けた時、彼は、町子を抱き天井の方に抱えあげる。(キャンディキャンディみたい…)
また、町子の寝る前には三五郎が彼女を抱きかかえながら頸に接吻。その後、彼は蒲団の上に町子をのせて部屋を出ていく。
 この二人の関係の清潔さは一体、少女漫画でなければなんなのだろう。


②兄たちの「女の子」への思い
  兄と三五郎の、町子や女の子に関する戸惑いや分析が面白い。

「女の子というものは、なかなか急に拒絶するものではないよ。拒絶するまでの月日をなるたけ長びかせるものだよ。あれはどういう心理なんだ、僕は諒解にくるしむ」p.144
 他の男を好いていて全然振り向いてくれなかった女の子を思い出しながら、二助がいうセリフ。
相手を傷つけまい(逆上させまい、かも)として、自然に相手が諦めるのを待つパターンか。
実は当に拒絶していたりするのだが、態度に出さず時を見計らっている。
女の子は計算高い…

「外見はむしろ可愛いくらいであるにも拘わらず、外見を知らない本人だけが不幸がったり恥ずかしがったりするんだ。女の子というものは、感情を無駄づかいして困る。」p.154
 髪を断髪にして恥ずかしがっている町子に、従兄の三五郎が言うセリフ。(ちなみに二人は好きあっている)
 これは女性が言われると喜ぶセリフだろう…
 髪を切って、変になって本人は気にしているんだけど、「全然変じゃないよ、むしろ可愛いよ、似合ってるよ」みたいな。

「僕は、このごろ、僕の心理のなかに、すこし変なものを感じかかっている。僕の心理はいま、二つに分かれかかっているんだ。女の子の頭に鏝をあててやると女の子の頸に接吻したくなるし、それからもう一人の女の子に坂で逢うと、わざと眼をそらしたくなるし、殊にこんな楽譜を見ると……」p.189
 三五郎は、町子を好いているが、となりに越してきた夜間女学生にも惹かれはじめる。二人の少女の間を揺れ動く彼のセリフ。戸惑いや町子に対する申し訳なさを巧みに表している。

③第七官とは何なのか?
 タイトルにもなっている、「第七官」は著者の造語である。読む前は、いわゆる「第六感」と同じような意味合いだろうと勝手に予想していた。しかし、作中において「第六感」は、一助の言葉によって次のように説明されている。いわく、「この「虫の知らせ」は普段は全く働かないのに、恋をした時のみ異様に働きだす」。
そのため、第六感と第七官は似てはいるが別物ということだ。

著者は、第六感を知った上で、自分の感覚を説明するのにもっとしっくりくる言葉を探して、自ら造語を造り上げてしまったのだろう。なんと先端的な女性なのだ…

・第七官の発見
 最初のほうで町子は、三五郎の奏でる調律の狂ったピアノの音と、二助の部屋から流れてくる研究用のこやしの臭いを同時に感じた時、この二つ以上の感覚が生み出す哀愁めいた感情こそが、「第七官」なのではないかと思う。
 けれど、それだけではまだ第七官とは呼べない。  
 この物語では、町子を含めたみんなそれぞれが、何らかの形で失恋する。
 物語全体を通してちょっとした哀愁や切なさが漂っているのもそのせいだろう。
 たぶん第七官とは、匂いや音楽や空気などが相まってそそる哀愁の上に、失恋の切なさを絡めた気持ちを表しているのではないか。
 実際町子も去ってしまった恋の相手を思った時、実感を伴ってこの心境に到達したのではないか。

「私が第七官の詩をかくにも失恋しなければならないであろう。」p.155
「私がノオトに書いたのは、われにくびまきをあたえし人は遥かなる旅路につけりというような哀感のこもった恋の詩であった。」p.215

 
 しかし、皆の恋の相手が、引っ越しなどの不可抗力によって途中で強制退場させられるのは、何でであろうか…
 切なさの中にもどこかのんきさがある詩情たっぷりのお話。
 現実世界に疲れたら第七官界へ。(私も行きたい……)


●雑談
本文の紹介と分析を書いた後、河出書房のムック本、「尾崎翠モダンガアルの偏愛」を読んでみたら、「尾崎翠の小説は極めて少女漫画的」というようなことが書いてあった…
得意気に分析してしまったが、既に多数の人が思っていることだっただろう。
優しい男性像、美しい夢みたいなのが詰め込まれているところが、少女漫画が好きな人には好まれるのかな。
 そしてこの本によると、吉野朔美の「少年は荒野をめざす」という漫画が尾崎翠っぽいのだそうだ。ぜひ読んでみたい。

<a href="http://kaikotekinihonbungak.blog.fc2.com/img/20180115223622b85.jpg/" target="_blank">第七官


・引用文献「ちくま日本文学004 尾崎翠」(2007)より「第七官界彷徨」  

⑥「挽歌」原田康子/1955年

「挽歌」 原田康子 1955年(昭和30)
〜屈折した危うい少女の、残酷で危険な遊戯の果て〜


 最初同人誌に掲載していたという本小説は、出版後ベストセラーとなり、出版翌年には久我美子主演で映画化されるという大ヒット作品となった。日本文学において不倫ものは数多くあれども、奸計を巡らせて周囲を振り回す主人公というのは、本作以前になかったのではないか。そしてその根底にある少女の不安と怯えを細かく描いている点でも(当時としては)珍しい。
それくらい主人公・怜子のキャラクターが鮮烈。
 映画を先に見ていたため、映画の筋をなぞるようだったが、細かな登場人物たちの心理、例えば不倫相手の妻に会いに行く怜子の心情などは小説を読まないと理解できない。
 映画で印象に残っていた台詞は、全部原作通りだった。久我美子の演技に脱帽。

~あらすじ~
 北海道釧路。兵藤怜子は、空想を好む少女。女学校時代に関節炎をこじらせたことにより、彼女の左手はほとんど動かない。
近所に住む桂木の飼い犬に噛まれたことをきっかけに彼と知り合い、彼と彼の家庭に惹かれる。
 やがて怜子は、偶然桂木の妻が不倫をしていることを知り、彼にそれを告げる。桂木は怜子の挑発的な態度に怒り、当てつけのように怜子をホテルに連れていく。そして、桂木を本気で愛しはじめていた怜子は、彼の出張中に桂木夫人に接近、親しくするようになるが…


・見どころ(以下物語の核心部分を含みます)
①屈折した怜子の性格
 この物語の最大の見所は、怜子の複雑な性格描写だろう。
彼女は自分の不自由な左手にコンプレックスを持っている。(そのためか父親に甘やかされ、仕事もせず、たまに近所の劇団のポスター描きをする以外はブラブラしている…)
だが、コンプレックスのためというよりも、おそらく元からの性格だろう。彼女はかなり屈折している。
まず、桂木の不倫を知り、わざと桂木に家庭のことを聞いたり、妻の不倫を仄めかす手紙を渡したりする。
 また、桂木夫人と不倫相手の古瀬の跡を追跡して、それを愉しむ。
自分の意地悪な好奇心に怯えながらも、それを止めることができないのだ。

 彼女は、自分が愛する人間に対してとても傲慢にふるまう。その関係が壊れる不安を抱えながら、一方で自ら破滅を望んでいるようにもみえる。
夫人に自分と桂木の関係を悟られた時、夫人の様子を観察する冷静さと喜び。…怖い。
自分に思いを寄せる幼なじみに全てを知られた時も、不敵な笑み…。
ーー怜子が愛している人物に対して、愛憎相反する感情を抱いていることを物語っている。そして時折、その意地悪さを激しくぶつけたり、甘えたりする。

②怜子と桂木
「わたしが欲しいのは、思いやりでもなく、静かな愛情でもなく、わたしが恋するときと同じように恋してくれる心なのだ……。」p.219

 怜子は、桂木に惹かれながら、妻に不倫をされている男を見つめるという意地悪な好奇心を持っている。
おそらく怜子は暖かい家庭というものに憧れていたのだろう。
 しかし、彼女は左手の欠陥や虚弱体質(もっともこれは少食で煙草ばかり呑み、昼夜逆転という彼女の生活習慣によるものだと思うが…)によって、普通に家庭の主婦になる自分を想像できない。
 最初から、それらは自分とはかけ離れた物であると思い込んでいて、だからこそ強く惹かれていると思う。人一倍誰かから愛されたいと願っているのだ。
 これはよくわかる…自分は家族とか子供とか責任背負うの無理だし、1人が楽だし…と思っていても、家族連れを見ると私には縁がないものなのだなと、時々無性に悲しくなる。
町で高齢者夫婦が労り合いながら歩いているのも、羨ましくて涙出そうになることがある…
 そういうやり場のない気持ちで怜子は、わざと夫妻を煽り、穏やかな家庭が崩れていく様を見て、溜飲を下げていたのだろうか…

 同時に、桂木の自分への思いは、ただの哀れみと責任感なのではないか?という不安が、彼女を絶えず脅かすようになる。
 彼女はしょっちゅうそんな事を考えているが、働いたり、ちょっとは家事を手伝ったりすればいいのに…多分彼女は暇すぎるのだろう…
その点では、私は彼女に魅力を感じない。
以前紹介した大宰の「女生徒」の主人公の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。

「わたしがムッシュを好きになったわけ教えてあげる」
「ムッシュの傷にさわりたかったのよ。傷があるってことはすごい魅力だわ」p.313,314

 彼女は愛している相手ほど残酷に傷付けてしまう。その根底には、強い不安がある。彼女には愛情の伝え方がわからなかったのではないか…?

③怜子と桂木夫人
 心の底に沈んでいる不安と怯えから、夫人へ近づいた怜子だったが、だんだん魅力的な夫人にも惹かれていき、自責の念に駆られる。
優しすぎる桂木夫人に罪悪感を秘めておけず、感情を制御できなかったのだろう…
 怜子は、残酷なやり方で夫人を追い詰め、その関係を自ら壊してしまう。
 それは、桂木夫人を失うことによって、夫人を愛していた自らをも痛めつけてしまう結果となった。

「おくさんをスワンにして、湖に浮かしたらどうだろう。優雅で気品があって憂わしげで、白鳥の女王になるわね。わたし見惚れたあげくに、掴まえたくなるわ、きっと」
「 逃げますわ」
「 逃げたら殺す。わたしハンターよ。白鳥を射つ名人。狙いは外れないわ」p.210


④夢を喰う女
「同情しないでね」(中略)
「電気洗濯機の話しもいやよ。そんな話嫌いなんだから。もうしちゃいけないわ。約束して」
「何の話しをする?」
「私獏よ」「夢を食べるの」p.149


 …しかしいくら獏だからといって、彼女のこの一連の振る舞いは許されるのだろうか…
怜子は自分の夢の中で生きている。いろいろな想像をして暮らし、自分の事しか考えていない彼女だからこそ、こんなひどいこともできるのだと感じる。
 終盤当たりに、自分がしたことから目を背けようと、連日強い睡眠剤を何十錠も飲む姿は、とても象徴的。
最終的に怜子自身がもう桂木とは会えないと決心したことや桂木夫人を失ったことにより、彼女自身大きな代償を払ったのだとも思えるが…。
 特に怜子を好きなみっちゃんは、さんざん振り回されていて可哀そうすぎる。
物語だと、全てを知っていて見守ってくれるこういうスペア的男性がよくいるんだよなあ。現実にはこうはいかない…
著者が女性なので、都合いいようになっているのだろうが…
しかし、どうしてこういうお嬢さん的な美少女(たぶん)は、年上に全然敬語をつかわないのだろうか。
 個人的に、この小説は気落ちしている時に読むと、ますます暗い気持ちになるので、要注意。

挽歌

・引用文献:「挽歌」原田康子 新潮文庫(1961) 398p

②「浮雲」 林芙美子/1949年

「浮雲」 林芙美子  1949年(昭和24)
 ~薄幸だがずぶとい女とダメ男の放浪記~


 この作品は、戦後という暗い時代にもかかわらず人物描写の巧みさが何回読んでも上手いなと感じ、好きな作品だ。
 戦後の荒廃して殺伐とした空気や、闇市やバラックの立ち並ぶ東京のどんよりした様子、物資不足でまずそうな食べ物の味やにおいまで伝わってくるようだ。
 仏印という外地が舞台なのは珍しいと思って興味を持ち、その言葉回しや描写に惹かれて林芙美子のファンになってしまった。
以後何回か読み直している。
 芙美子は主人公でも決して美化して描くことはしない。いくら主人公が自分の分身だとしても、自身の内面と理想を混ぜて、多少取り繕ったりキレイなことを書こうとしたりしてみたくなりそうだが…
私生活をさらけだして、人間のありのままや負の感情、鋭い筆致で描き出すところが、私を含め多くの人々が彼女の小説に惹かれる所以だろう。


~あらすじ~
 主人公ゆき子は終戦後、農林省のタイピストとして派遣されていたフランス領インドシナ(仏印)から引き揚げてくる。
仏印で出会い、恋仲となった既婚者である富岡と、帰国後結婚の約束をしていたゆき子だが、いざ帰国してみると富岡の態度は煮えきらない。それでも二人は仏印時代の思い出を肴に、不毛な会瀬を繰り返す。
心中を企てるも結局死ねず、富岡は心中しに行った伊香保で出会った若い女・おせいに生きる活路を見いだす。
  一方ゆき子はそんな富岡に愛想をつかし、GIのオンリーになり、その後昔関係のあった義兄・伊庭の世話となる。伊庭は新興宗教の協会で働き、インチキ商法で儲けていた。
 しかし、ひどい男とわかっていながらも、富岡が忘れられないゆき子は、伊庭の宗教協会の金を持ち逃げして富岡と逃避行を企てる。やがて二人は雨の屋久島へとたどり着く…。


見どころ(以下、物語の核心部分を含みます。)
①ゆき子の男性放浪記
 
 主人公ゆき子はごく普通のどちらかといえば地味な女である。
なので、可愛がられたことのない女性特有の嫉妬心や、ひがみ根性剥き出しの底意地のわるい嫌な部分が書き出されている。
同僚の李香蘭似(すごい例え)の春子に嫉妬するが、日本女性一人という任地先のダラットでは急にモテるようになる。
このひがみ時代と男性からちやほやされる優越を知ったゆき子の描写が面白い。
女性が境遇によって周囲からの扱われ方が変わり、自身の心情も変化するというのを、作者は身をもって知っているんだなあととても共感してしまう。

男を手玉に取るゆき子↓
「あなたがあんまり私をかわいがってくれるから、私、加野さんをからかってしまったのよ。―でも加野さんなら、私と喜んで死んでくれる人ね。(中略)二人の(恋の)伴奏者としては申し分のない人物よ」
「君はひどい女だね」
「そうかしら……。でも、女って、そんなところもあるンじゃない?」p.88


 本作にはゆき子と深く関わる二人の男性・富岡と伊庭が登場するが、中でも伊庭は男のいやらしさを集めたような性格である。
伊庭はゆき子の親類の嫁ぎ先の親戚なのだが、夜中にゆき子の部屋に押し入り処女を奪った上に三年間も愛人のように取り扱う。さして抵抗もせす、それに甘んじてるゆき子もゆき子だが…
伊庭は戦後は新興宗教を立ち上げ、嘘八百とはったりでボロもうけを果たす。そんな中でゆき子は彼とよりを戻したりしているが、そんな男の世話になどなりたくない…。ずうずうしくゆき子の友人・春子の手を握っていたり、人前で耳垢をほじくったりしているところも嫌だ...。
普通なら顔を見ることさえ反吐が出そうだが…
ある意味、昔を懐かしみ仏印時代を乞うあまり、自分の中で時が止まってしまっている富岡よりも、時代への適応能力があるといえるが。
 家父長制度は今より強く、女性が経済力で一人立ちすることが難しかった時代、男性にすがり付いていくのが生きる術でもあったのだろう。
 とにかくひどい目に合わされても新たな男を見つけては、追いかけていくゆき子がいじらしい。


②女を引き付ける男・富岡
 富岡は冷たい男である。
にもかかわらず、女が寄ってくる。ゆき子、仏印のニウ、伊香保のおせい、東京の飲み屋の娘、鹿児島の小料理屋の女など行く先々の女に好感をもたれる。富岡は女に対して積極的行動をしてるわけではなく、むしろ愛想がなく、失礼な態度をとったりもする。
そんな男に女側の方が積極的になるのは、生来の異性を惹き付ける色気というものもあろうし、インテリで望洋として掴み所のないところが良いのだろうか…。
しかし彼は長く付き合えば付き合うほどクズっぷりを露呈させていく。ゆきこを道連れに心中を企てるが、結局我が身が可愛く、新しい女と出会ったこともあり、それを取りやめる。戦後の荒廃した社会情勢や気分もあるだろうが、就職を斡旋してくれる奇特な友人も多数いながら酒を飲みながらブラブラしている。昔を恋しがり、口先ばかりの男なのである。

「可愛いから未練があるンだ。死ぬのは痛いからね......。死んでしまうまでの一瞬の痛みの怖さなンだ。これは怪我のような痛みじゃないからね。命を落とす痛みなンだ。仲々死ねない。自分が可愛いンじゃなく、命に未練があるからなンだ......。君、一杯やらない?」p.232
「君は死ぬ気になった事はないのかい?生きたいから、死ぬ事も考えるンだよ。ー死ぬのは淋しいと考えたから、こうして酒を飲むんだよ」p.237

また、一時期でも愛し合ったゆき子への感情はとても冷たく、その冷酷さを冷静に観察しているところがまた不気味である。

「こうした荒れた旅館の一室で、秘密な女とあっている事よりも、家の茶の間で、しゅんしゅんと湯のたぎる音をきいて、邦子のそばで新聞に目を通しているときのほうが愉しいと思えた。何と云う事もなく、何故、ゆき子は仏印で死んでくれなかったのだろうと、怖ろしい事も考えるのだった。」p.102

そして、妊娠したゆき子に対して、口先だけで生んでほしいといいながら、何も連絡をよこさない。
「五千円の金を工面して送ったが、それは、子供をこの世から消してくれた、ささやかな祝いの選別でもあった。」p.301


③なれ合った男女がお互いに向ける意地悪な目線
 戦時中、内地での喧騒を離れて、仏印で華やかな生活を送っていたゆき子と富岡は、日本人の少ない場所で出会い、恋に落ちるというドラマチックな展開から、お互いがよく見えるフィルターがかなりかかっていた。
 また、ゆき子に思いを寄せる当て馬・加野の存在も彼らの恋をより一層盛り上げるのに一役買った。 
 しかし、戦後引き揚げて荒涼とした東京の現実に触れると、二人がお互いに向ける視線は冷たいシビアなものへと変化していく。

「仏印では、あんなに伸々としていた男が、日本へ戻ってから急に萎縮して、家や家族に気兼ねしている弱さが、ゆき子には気に入らなかった。」p.100
まさに夢から覚めた恋人たちといったところだろう。とにかくお互いを観察するさまが、意地悪なのだ。
 
とりわけ富岡のゆき子を見つめる目線は、容赦がない。
富岡は二本目の酒を注文して、化粧をしているゆき子の平べったい顔を呆んやり見つめていた。この顔が、外国人に好かれるのかなと、妙な気がした。卑しい顔だった。」p.169
「富岡はゆき子に復讐するような眼で、酔っぱらいの化粧のはげた、醜いゆき子を嫌悪の表情でみつめた。この女との幕は終ったような気がした。」p.220
「車窓へ乗り出してみていると、外套を着こんだ背中が、もう、盛りの女を過ぎた感じのみすぼらしさに見えた。(中略)この四五日の同棲で、目の下は三角に薄暗くなり、唇の皮が割れて、紅が筋のなかに固まっていた。」p.398



ゆき子による富岡の観察
「顔がぴかぴか膏で光り、仏印の時のような若さはもう消えかけていた。顔が、ひどく疲れて痩せている。(中略)おどけて、くどくどと喋っている富岡の紫色の唇が、ゆき子には印象的だった。中略眼が濁り、髪が額にたれさがっている。」p.236
「これが、今日まで恋こがれていた富岡だったのかと、二ツ三ツ年を取った、富岡のすっかり変わった様子を、ゆき子は目尻を掠めて眺めながら、自分の冷酷さが不思議な気持ちだった。」p.355

金銭的に困っていたり、行き場のないときにゆき子を訪ねてくる富岡に対して...
「私は、うまく暮らしてるけど、いったい、あなたはどうなのよ......。泥鰌のように泡を吹いてるじゃないの?ゆき子はそんな気持ちだった。」p.142
「ゆき子は、後ろ向きになりながら、ふっと舌を出した。とうとう富岡が、落ちぶれてやって来たと思うと、胸のなかが痛くなるほど、爽快な気がした。」p.353


 なれ合いというものだろうか、熱い恋はとうに終わり、お互いに愛想をつかしていながら、それでもずるずるべったり離れなれない二人というのは、破局復縁を繰り返す熟年カップルさながらであり、お互いを知り尽くした気楽さが楽そうだと思ったりもした。

浮雲

引用文献「浮雲」林芙美子 新潮文庫(1953) 473p