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懐古的日本文学

主に近代以降(明治・大正・昭和)の日本文学、大衆小説の紹介や勝手な分析と感想、その他人文社会学系の本の紹介も。

2018年06月の記事

⑬-2「雪国」川端康成/1937年

「雪国」川端康成



②自然風景の描写による表象
 最初読んだときはあまり気づかなかったのだが、物語中、何度も自然描写と島村・駒子の心情が呼応させられている。

 二人が最初に出会ったときに見られる「もつれ合いながら飛んでいく蝶」p.28
追い詰められ、その姿を消されまいとあせっている「蜻蛉の群」=駒子
 松風にゆれる鈴の音=駒子
 最後、限られた時間しか会えない二人のこれまでの月日と、別れを予期させる「天の川」…

細かい描写も計算されていてすごいと改めて思った。

③非現実的な世界としての「雪国」

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」p.5

 あまりにも有名なこの冒頭から、すでに本小説の意図が示されている。
  冒頭の列車の中で島村は、窓に映っている葉子の姿をずっと見つめている。
 夕暮れ時は、窓の世界の景色と葉子の姿が混ざり合ってぼんやりとしているが、やがて夜光灯がつくようになると、葉子の姿(目)が強く浮かんでくる。
 見事に現実~幻想世界への移り変わりとリンクされており、美しい描写である。
 島村にとって「雪国」は、物理的にも心理的にも日常から切り離された世界なのだろう。

●幻影を愛する男・島村
  駒子がだんだん(最初から?)島村に本気になっていくのに、島村の方は駒子をどうもしてやれない。
  駒子が可哀想…男に都合が良いお話…とも思うが、そもそも最初から、島村と駒子は結ばれえない。
  島村が東京で所帯を持っているということを差し置いてもである。
 なぜなら、おそらく島村は、「幻影」しか愛せない男なのだ。

 そのことを象徴しているエピソードがある。
  島村は雪国に来る前、日本舞踊の研究をしていた。
  それが高じて舞踊の興隆運動に誘われるも、途端にしり込みし、西洋舞踊に鞍替えしてしまったのだ。
  駒子が彼に向ける愛情も「徒労」だと思う島村。雪国を離れれば遠くなる駒子。
それらの言葉は(略)女が精いっぱいに生きているしるしで、彼は聞くのがつらかったほどだから忘れずにいるものだったが、こうして遠ざかっていく今の島村には、旅愁を添えるに過ぎないような、もう遠い声であった。p.84

 深くなる想いに、自ら歯止めをかけようとしているようにも見える。そして、彼はそんな自分を嘲笑している。

  駒子の激しい呼吸につれて現実というものが伝わってきた。それはなつかしい悔恨に似て、ただもう安らかになにかの復讐を待つ心のようであった。p.120
 自分の気持ちを冷静に観察する男と、だんだん想いが強くなっていく女。どこまでいっても並行にしかならない二人の関係に、別離が迫っていく。

●繭倉の火事~幻影世界の終焉
  最初に読んだときに「え?ここで終わりなの?」とポカーンとした物語のラスト。
  話が途中でぶちぎられて、突然終わった感があったが、今読み返すとこの大火のラストシーンによって、きちんと物語が終了していることがわかる。
  これまでにも、様々な自然風景によって島村と駒子の関係や心情が表象されているが、最後の繭蔵の大火も、物語のラストを飾るのにふさわしい象徴的なシーンであろう。
 映画を上映している繭倉に火事が起き、現場に向かう二人。野次馬と一緒に火事を見ていると、倉の二階から落ちてくる葉子。葉子を抱く駒子に駆け寄る島村の頭上には天の川が降っている。
 葉子が死んでいるのか気を失っているだけなのかは定かではないが、駒子の予言した通り、駒子を文字通り永遠に「雪国」の世界に縛り付ける存在となり、島村と駒子が一緒になれないことを暗示していると思う。

●「葉子」・・・幻想世界の象徴 
  葉子の言動は謎めいていて、彼女の思考を想像することは難しい。
  しかし、その存在そのものが島村の愛する幻影の国「雪国」の象徴なのだとすれば、彼女の支離滅裂な台詞や、ラストの繭蔵の大火での描写にも合点がいく。
 島村は列車の中で窓に映る葉子に「象徴の世界」p.10を感じている。彼女を表すキーワードとして、「鏡」「映画」が使われていることや、その声を「悲しいほど美しい声」と表するのも、いかにも幻影めいている。
  そして最後の繭蔵からの落下シーン。「人形じみた無抵抗さ」で垂直に落ちた彼女は「非現実的な世界の幻影のようだった。」p.171
 葉子の"死"のようなものは、大火の描写とともに島村の「幻影世界」がここに焼失したことを示すものであろう。
 死が感じられないほど現実感のない最期の彼女の様子は、もしかしたら最初からまぼろしだったのかもしれないとも思わされる。
 
 しかし、「葉子」とは結局何なのなだろうか。
 「葉子」を象徴する言葉は、「鏡」「映画」「象徴」「非現実」「刺すように美しい眼」「悲しいほど美しい声」などである。(「鏡」は駒子でも出てくるが)
  彼女は島村と会うたび「刺すような」視線を向ける。島村はその目に自分の駒子への気持ちを見透かされていると感じる。
  また彼女の弟や行雄に対する「真剣過ぎる素振」。
  「駒ちゃんを良くしてあげてください」と何度も頼む葉子。
  もしかしたら島村にとって彼女は、自分が失ってしまった真摯さの表象であり、そうした自分を見透かすもう一人の自分なのかもしれない。

2雪国


・引用文献:「雪国」川端康成著 新潮文庫(2006)

⑬-1「雪国」川端康成/1937年

「雪国」川端康成 1937年(昭和12)
~すれ違う男女の逢瀬のはて~



 「この指が覚えていたんだ」とか「滑らかな唇は、彼女の体の魅力そっくり」等々官能的な表現にばかり目が行きがちになるが、人物の心情と風景描写などの細かく緻密な文章が素晴らしく、読みごたえがある。
 一度では深いところまで理解できず何度も読んでしまう。

~あらすじ~
 東京に暮らす無為徒食の島村は、とある温泉町の「雪国」でのちに芸者となる駒子と出会う。
 数か月おきに彼女に会いに来る島村は駒子の真剣な生き方に惹かれていく。
 しかし同時に彼は、駒子の許嫁だったと噂される行男を愛する葉子にも惹かれて…


 わかりにくい小説だと思う。(現代小説になれてしまった私には...)
 表現に比喩や、言葉のぼやかしも多く、すべては理解できない。
 しかし、何回か読み返しているうちにわかってくることもあり、いろいろ考えたことがあるので、以下にまとめてみたい。

以下物語の核心部分を含みます。
①駒子の想い

 島村と駒子の気持ちのすれ違い(思い違い?)というのが、この小説の大きなテーマにもなっている。

「私はなんにも惜しいものはないのよ。決して惜しいんじゃないのよ。だけどそういう女じゃない。私はそういう女じゃないの。」p.36
 島村と駒子はお互いに思い合っているが、気持ちの大きさ的には、初めから駒子>島村であろう。
 では、駒子は「どういう女」じゃないのか。

 「君はいい女だね。」p.146
 「それどういう意味?ねえ、なんのこと?」「言って頂戴。それで通ってらしたの?あんた私を笑ってたのね。やっぱり笑ってらしたのね。」
「くやしい、ああっ、くやしい。」p.147

 
 夜になるたびに「帰る」という駒子。浜松に居るという旦那は別にして、「島村」だから部屋まで来るのだ。
 「芸者だから」男の相手をする女だと云う風に思われたくないのだろう。
 「水商売の女」ということで、自分の真剣な気持ちが笑われることを恐れる駒子。
 その実、自身は肉体的に島村に惹かれている。
 「いい女だね。」この聞き違いによって、彼女は自分でそのことを露呈してしまう。
 そう考えると、幾度となく言う「悲しいわ」も意味深である。
 極め付けがこの言葉。男を拒めない悲しい女の性をよく表している。
 「私が悪いんじゃないわよ。あんたが悪いのよ。あんたが負けたのよ。あんたが弱いのよ。私じゃないのよ。」p.36

 おそらく島村は、早いうちから彼女の肉体よりもその精神性に惹かれているのだろう。(多分…)
 駒子を象徴する言葉として何回も出てくる「清潔」と「徒労」と「透明」。
 彼女の最初の印象から「清潔」という言葉を連呼している。
 また、彼女を「透明な体」と表すことからも単に「水商売の女」というレッテルのみで駒子をみている感じは薄い。
 「水商売の女である自分」にこだわっているのは駒子の方なのだ。
 読書が好きで日記をつけ、人が散らかしたそばから片付けていくほどのきれい好きさ。
 譜面だけを頼りに三味線を真剣に稽古する生真面目さ。
 島村の言うところの「徒労」ともいえる行為を真剣に行う彼女に、彼は憧憬めいたものを感じ惹かれている。
  全く徒労であると、島村はなぜかもう一度声を強めようとした途端に、雪のなるような静けさが身にしみて、それは女に惹きつけられたのであった。p.40


  一方で、駒子の島村に対する想いは次第にエスカレート。だんだん執着めいてきてちょっと怖い。

 一日に二度も異常な時間に暇を盗んできたのだと思うと、島村はただならぬものが感じられた。p.123

 撥入れだとか、羽織だとか、なにかしら持って来たものを、彼の部屋へ置いて帰りたがった。p.125


  「つらいから帰って頂戴。もう切る着物がないの。あんたのとこへ来る度に、お座敷着を変えたいけれど、すっかり種切れで、これお友達の借着なのよ。悪い子でしょう?」島村は言葉も出なかった。P.145,146

 思いつめていく駒子を目の当たりにした島村は、雪国を離れる決心をする。
 しかし、こうした島村のどうしようもない心境が細かく描かれていることで、彼がゲスだという感じはあんまりしない。

雪国

・引用文献:「雪国」川端康成著 新潮文庫(2006)