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懐古的日本文学

主に近代以降(明治・大正・昭和)の日本文学、大衆小説の紹介や勝手な分析と感想、その他人文社会学系の本の紹介も。

⑨-2「三四郎」夏目漱石/1908年

「三四郎」夏目漱石 1908年(明治8)

①明治の青春(続き)
・三四郎の性格
 三四郎はベーコンの二十三頁を開いた。他の本でも読めそうにはない。ましてベーコンなどは無論読む気にならない。けれども三四郎は恭しく二十三頁を開いて、万遍なく頁全体を見廻していた。三四郎は二十三頁の前で、一応昨夜の御浚をする気である。P.13

 三四郎は、口下手で、人と会う前に色々問答を想像したり、会った後でやり取りを後悔したりする、極めて日本人っぽい性格である。
 この時代の(今も?)標準的日本人学生という感じだろうか。
 頭がいいので思考が常に動いているが、口に出さず腹のなかで相手を色々評している。また、わからない分野や見識には黙っていて、知ったかぶりをして適当な相槌をうつ。それでいて人付き合いは好きなようだ。結構すぐ苦悩するが、それほど引きずらない。
 学生であるということを除けば、美禰子の相手は三四郎でもいいような気がする。誠実で信用できる。

② 新しい女性像・美禰子
「馬券で中るのは、人の心を中るよりむずかしいじゃありませんか。あなたは索引の附いている人の心さえ中てみようとはなさらない呑気な方だのに」p.186

 美禰子は、男性に付き従う旧時代の封建的な女ではない。自分の意思を持ち、男性と自由に意見し、時に惑わせる。まさにしなやかな奔馬という感じだ。彼女は、新時代の女性なのである。
 また、彼女は英語を勉強しており、海外の文学や思想に明るい。

 顔つきも、洋画家の原口が彼女にモデルに頼むように、近代的な美しさを持っている。
 三四郎も原口も、彼女の顔の中では、彼女の「目」に最も惹かれているのだが、それは単に造作が綺麗なだけではなく、彼女の目が、彼女自身を、つまり意志を強く写し出す目だからだろう。
 彼女の目は、時に鋭い視線を投げかけ、男を嘲笑し、苦悶の表情を浮かべる。封建時代の女とは違う自由な意志を持ってくるくると動き回る。

 知識人達は外国の小説に出てくる新しい女性像を彼女に重ね合わせる。こういう女を知ると、もう従来の従順な女に魅力は感じられないに違いない。
 しかし、このような女性に魅力を感じる男性が表れた、というのは時代がかなり進んだ感がある…。西洋かぶれているのだろうか。

 妖婦型と淑女型にわけるとしたら美禰子は明らかに前者だろう。とにかく注意を惹く女だということは確かだ。
周りの男達はよく彼女の噂話をしている。
 三四郎や野々宮に気があるそぶりを見せたあげく、ほかの男と結婚してしまった美禰子は、果たして悪女なのだろうか。二人は彼女にたぶらかされていただけだったのだろうか…。
 三四郎が、美禰子のセリフや行動に「愚弄」されたと感じる場面があるが、私はちょっと違うと思う。やや高慢な女ではあるとは思うが…
 ③で詳しくその理由を述べたい。


③ ストレイ・シープ(迷える羊)
 「ストレイ・シープ」は、美禰子が何度も三四郎に向かっていう有名なセリフ。「迷える羊」とは、三四郎だけではなく、美禰子自身の事でもある。むしろ三四郎より彼女の方が、「迷える羊」なのである。
 ちょっと見には、一見自由に生きている美禰子に、この言葉は当てはまらないような気がする。結婚だって、三四郎でも野々宮さんでも彼女なら誰とでも結婚できそうである。しかし、美禰子は自分の将来と結婚に関する苦悩と葛藤を抱えていた。

・明治の女性と結婚
 この彼女の葛藤を理解するには、この時代の背景を理解する必要がある。
この時代、通常、女性は10代後半で結婚する。女学校の在学中に結婚する女性も少なくない。(なんのための学校なのか…)
 そして、結婚せずに卒業した女性は「卒業面」と言われる。
いわく、美人は在学中に嫁に貰われていくため、卒業者=不美人の代名詞ということだ。
 美禰子は明らかに違うが…
 しかし、彼女は三四郎と同年代というから、22,3。すでにオールドミスのような年齢に達している。

・余談だがこの「卒業面」について書かれている井上章一氏の「美人論」がとても面白い。当時の女学校の、授業参観によって生徒たちを(有力者に)一般公開、結婚を斡旋するという驚きの結婚システムが詳しく書かれている。もちろん、美人から順に売れていく。まるで美術品オークションのよう…


 話を戻すと、ある一定以上の家の女性は、普通自ら生計を立てる手段を持たない。そのため結婚して夫に養ってもらう必要がある。結婚は、いわば女性が生活していくための手段なのである。
 当時の結婚は、一緒にいて楽しい、馬が合うとかよりも、家同士が釣り合うか、男性が経済的に女性や家族を養っていけるかが、重要であった。
 いくら新時代の女性でも、経済問題となると、よっぽど資産家の娘でない限り、社会的弱者である。職業婦人が定着するにはもうちょっと時代を下らなくてはならない。 
 両親を早くに失い、稼ぎ手である兄も近々結婚してしまう美禰子は、自身の結婚を実際の生活問題として捉えていた。

 ではなぜ、美禰子の周りの男性たちは彼女の結婚相手たり得なかったのか。
 美禰子が想いを寄せた相手について、個々に見ていきたい。


・美禰子と野々宮さん
 まず美禰子は、最初、三四郎の同郷出身の先輩・野々宮さんを好きなそぶりであった。
 しかし、野々宮さんは収入面で彼女の結婚相手としては、却下であろう。
 美禰子にみすぼらしい思いをさせてはいけない…彼女はそういう女ではない。豪華な着物を、惜し気もなく汚い地面に着けて座っているような女だ。

 それでも美禰子は、もし野々宮さんが真剣に彼女との将来を考え、決心してくれたとしたら、プロポーズを受けたのではないか。美禰子は、彼の研究態度を尊敬している。
 また、彼女も英語が得意で聡明なので、彼の稼ぎが十分でなくても、何か文を書いて家計の足しにすることができそうな気もする…
 私もこういう研究熱心で朴訥なタイプはよいと思う。
 しかし、こういう学者にはありがちなことだと思うが、女性のことよりも研究一徹の彼は、研究に集中するために下宿生活へと戻ってしまい、美禰子と結婚する機会を永久に失った。彼女も落胆したことだろう。そのあと、彼の前で三四郎にくっついて見せつけたり、「責任を逃れたがる人」など彼を非難する言葉を吐いていることからも、それがうかがえる。


・美禰子と三四郎
 個人的には、三四郎は、誠実だし、実家は田舎だが豪農っぽいので、美禰子と釣り合うと思うのだが…。
 
 では、なぜ三四郎ではだめだったのか。
 無論、三四郎がその時点で、経済力を持たない学生であるためだ。
 この時代、男女の結婚適齢期には大きな開きがある。
 オールドミス・美禰子には、三四郎が社会人になるまで待つ時間は、もう残されていないのだ…事態はかなり逼迫している。
 では美禰子の思わせぶりな態度は何だったのか。最初から結婚する気がないのなら、そんな態度を取らなければ良かったのではないかというのも、もっともである。

 ここで私は美禰子の弁護に入ろうと思う。
 美禰子が、自分のことで三四郎を悩ませて愉しんでいるというのは、少々違うと思う。多少三四郎の被害妄想も入っているのではないか。
 ちなみに漱石も、女中など周りの女達が自分の悪口を言っていると思い込んだり、バカにされたと思ってキレたりすることが、しょっちゅうであったという。この彼の神経症の話は、岩波明著の「文豪はみんな、うつ」に詳しい。
これらの漱石の被害妄想は、自身の対人関係の中での会話や態度に対する自信のなさからきているのだと考えられるが。

 そして、三四郎もやや美禰子を妖婦と見ている。確かに美禰子は本心が分かりづらい女である。
 一見、三四郎を弄んでいるようにもみえる。
 確かに人並み以上の美貌と才気を持っていれば、そのようになっても仕方ないかもしれない…。しかし、彼女は三四郎のことを何とも思っていないのに、ただ思わせぶりな態度を取っていたのではない。
 私も最初は「三四郎の事を結局なんとも思ってなかったんじゃないの、美禰子ヒドくない?」と思ったが、あとがき解説を読んで、なるほどと思った。
 これは、新潮文庫のあとがきの解説にもあるが、美禰子が絵のモデルとなったときに描かせたのは、三四郎と大学の池で初めて会ったときのポーズであった。
 彼女が描いてほしがったのは、彼女の独身時代の中で自分の最も輝ける日の一ページだったのである。
 それは三四郎と出会った日であった。
 これを大切な思い出として絵にして残すことで、彼女はその思いを封印して結婚を決意したのだろう。
 そこには深い思いがある。
 
 そうしてみると、彼女の三四郎への態度もセリフも、彼女なりに悩んでいるからこその行動と思われる。
 つまり、三四郎が自分の結婚相手となりうるか、見極めようとし、彼の反応を試していたのではないか。4.5年待つに値する相手かどうか、彼女なりに品定めしていたのではないか。
 結局、三四郎は彼女のおメガネにかなわず、美禰子はほかの人と結婚してしまうのだが…
 彼女はロマンティック・ラブ・イデオロギー(恋愛結婚)に憧れながらも、時代と自身の境遇がそれを許さないことを知っていた。

 でも、彼女は最後までかなり迷っていたと思う。迷っていたからこそ、三四郎と最後にあったときこのセリフを言ったのではないか。
 「われは我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり」p.280


 余談になるが、ほかの人物は、結婚相手としてどうなのか。
 例えば、三四郎の友人・与次郎は調子が良くて如才ないタイプなので、この中で一番給料を取りそうではある。文学への熱もありそうだが、器用そうなので月給取りになりながら、文筆をするというような二足のわらじを履きそうだ。
 彼には、行動力があり、人を動かす力がある。「広田先生を帝大の教授にする活動」に関する文芸や演説はすごい。まさに時代を背負っているという意識を持つ新時代の学生だ。
 反面、口が上手く相手に構わず生意気な口をきく、金を返さないなどの欠点がある。
 また、女性に関しては意外と冷淡で、「女は自分と同世代の男を相手にしない」だの、「美禰子を好きになっても仕方がない」と三四郎に忠告する彼はとても賢いと思う。
 商売女には自分の素性を知らせず、医大生だと騙し、別れるときには研究が忙しくなって遠くへ行くことになったと平気でうそをつくなど、なかなかの食わせ物だ。
 しかし、彼も現時点で学生という点で落第である。なかなか大物になりそうなので惜しい...。

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引用文献
・「三四郎」夏目漱石 新潮文庫(1948)
・「美人論」井上章一 朝日文庫(2017)
・「文豪はみんな、うつ」岩波明 幻冬舎新書(2010)