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懐古的日本文学

主に近代以降(明治・大正・昭和)の日本文学、大衆小説の紹介や勝手な分析と感想、その他人文社会学系の本の紹介も。

⑨-4「三四郎」夏目漱石/1908年


「三四郎」夏目漱石
(つづき)

⑤時代を見つめる漱石の視線
 この小説では、度々、与次郎に代表される、新時代の学生たちの文芸活動と主張や、広田先生の目から見た社会に関する分析が描かれている。
 これらは、三四郎と美禰子の恋と共に、物語の主要な柱となっており、本小説を教養小説たらしめている大きな要因となっていると思う。

 明治知識人の代表である広田先生は、社会を俯瞰的に見つつ、うがったセリフを放つ。
 <分析①明治の青春>でも述べたが、現代の日本社会を、西洋を知った広い視点から眺める広田先生=漱石の本音の代弁者なのだろう。

 彼によれば、彼の青年時代の日本人はもっと他人のために生きていたという。
 自己の幸せを追及するようになった新時代の人々が皆「露悪家」(漱石の造語)だというならば、現代の我々は一体どうなのだろう…

 さらに、他人の心を乱したいがために偽善をする、というような新しい人種が出てきたと言い、三四郎は美禰子を思い浮かべる。この辺の議論は、なんか小難しいが、ニュアンスとしては、理解できる。

 しかし、現代人の私から見れば、この時代の人々も十分、個よりも君や公、家を大事にしていると思う。
 というか、それらを離れて生きていくことは、当時かなり難しかったのではないか。

 この時代の日本人のほとんどが、家、所属する組織、ひいては君と国に仕える運命共同体だ。
 社会制度は欧米に学んだが、この集団主義的な行動原理は、日本独特だ。欧米の個人主義とはやはり違う。
  現在も個人主義が加速してきたとはいえ、私を含め多くの日本人の家や学校、会社などへの所属意識や忠誠心は、やはり他国の人たちのそれよりは、抜きんでているのではないか。日本社会の根本はそうそう変わらないと思う。
 明治と違うのは君主への忠誠心の強さくらいなものだろうか...

・文芸と社会

 「実際今日の文権は全く吾々青年の手にあるんだから、一言でも半句でも進んで云えるだけ云わなけりゃ損じゃないか。(中略)
凡てが悉く揺いて、新気運に向かって行くんだから、取り残されちゃ大変だ。進んで自分からこの気運を拵え上げなくちゃ、生きてる甲斐はない。(中略)
 文学の新気運は日本全社会の活動に影響しなければならない。」p.130
 
↑文芸誌に文章を寄稿している与次郎の主張。

 何も主張しないのは、意見を持たないのと同じこと。もっと言えば、存在しないのと同じこと。
 それでは、全く生きている意味がないではないか!
 ・・・といった感じの勢いでまくしたてる与次郎。
 何事も受け身の三四郎はこの言葉に対しても、なんだか鈍い反応だが、この生き生きとした弁は、この時代にあって(現代でも?)、まさにその通りだと思う。
 三四郎は東京での新しい生活を受け入れるので精いっぱいで、そんなことまで考える余裕がないのであろうが...

 現在も未来も、若い自分たちの手の中にある。激動の時代の中で、文芸の未来、ひいては日本の社会や未来を、自分たちでどんどん変えて行けるという思い。夢がある学生っていいな...

 時代が違っても、私を含め今の人々の胸にも響く言葉だと思う。
 今は便利になりすぎて、書物もメディアも発達しすぎ、もうこれ以上新しいことなんかないように思うが、自分で何かを発信したいという思いを持っている人たちは多いだろう。今は気軽にネットやSNSで自己発信できる時代であるから、その点では、好きに自己表現をしやすい。そこは現代ならではのよさである...

・文芸と国家
我々はこの自身と決心とを有するの点に於いて普通の人間とは異っている。文芸は技術でもない、事務でもない。より多くの人生の根本儀に触れた社会の原動力である。(中略)社会は烈しく揺きつつある。社会の産物たる文芸もまた揺きつつある。p.144
↑広田先生を大学教授にするために与次郎の友人が行った演説。

 文芸には大衆を動かす強い力がある。今はテレビやネットなどのメディアの方がより強い影響力を持つだろうが...

 明治という新しい国民国家の成立時期に、国民的作家たる文豪が多数生まれたのは、歴史的必然であろう。
 欧米諸国でも、国民国家の創成期に多くの国民作家や文学が誕生し、国民アイデンティティーの形成に大きな影響を及ぼした。
  人々は、同一言語で書かれた本を読み、内容を共有して国家の一員たる意識を強くしたのである。
 
 日本は、元々識字率も高かったため、文学は国民の意識に多大な影響を及ぼす重要なメディアだった。
文芸は、その影響力の強さから、人々を啓蒙し、近代化を成功させるための一助ともなった。
「学問のすゝめ」など、新時代の手引書が、国民の意識改革を促し、ベストセラーともなっている。

 しかし、国民を啓蒙する利を持つ一方で、自由に創作しうる文芸作品は、のちに軍部や政府にとっては、諸刃の剱となる…

 戦争の時代が近づくと、社会や、戦争などを批判した作品、いわゆるプロレタリア文学(それ以外でも、戦局にそぐわない華美なものなど...)が自由に発表出来なくなっていく。
 労働争議などを題材にしたものでも、弾圧の対象となったくらいだから、その攻撃は凄まじいものがある。
 軍と政府が文芸のパワーというものをかなり重く見ていた表れだろう。
 私は特定の政治思想を持たない者であるが、自由に創作できず、投獄された時代の作家たちに強い同情を寄せる。

 そういう意味で、「三四郎」に出てくる文芸に関する主張や演説文は、その後の日本社会の文芸と社会、または国家のありようについて、いろいろ考えさせられるのである。

三四郎4

・引用文献:「三四郎」夏目漱石 新潮文庫(1948)