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懐古的日本文学

主に近代以降(明治・大正・昭和)の日本文学、大衆小説の紹介や勝手な分析と感想、その他人文社会学系の本の紹介も。

⑬-1「雪国」川端康成/1937年

「雪国」川端康成 1937年(昭和12)
~すれ違う男女の逢瀬のはて~



 「この指が覚えていたんだ」とか「滑らかな唇は、彼女の体の魅力そっくり」等々官能的な表現にばかり目が行きがちになるが、人物の心情と風景描写などの細かく緻密な文章が素晴らしく、読みごたえがある。
 一度では深いところまで理解できず何度も読んでしまう。

~あらすじ~
 東京に暮らす無為徒食の島村は、とある温泉町の「雪国」でのちに芸者となる駒子と出会う。
 数か月おきに彼女に会いに来る島村は駒子の真剣な生き方に惹かれていく。
 しかし同時に彼は、駒子の許嫁だったと噂される行男を愛する葉子にも惹かれて…


 わかりにくい小説だと思う。(現代小説になれてしまった私には...)
 表現に比喩や、言葉のぼやかしも多く、すべては理解できない。
 しかし、何回か読み返しているうちにわかってくることもあり、いろいろ考えたことがあるので、以下にまとめてみたい。

以下物語の核心部分を含みます。
①駒子の想い

 島村と駒子の気持ちのすれ違い(思い違い?)というのが、この小説の大きなテーマにもなっている。

「私はなんにも惜しいものはないのよ。決して惜しいんじゃないのよ。だけどそういう女じゃない。私はそういう女じゃないの。」p.36
 島村と駒子はお互いに思い合っているが、気持ちの大きさ的には、初めから駒子>島村であろう。
 では、駒子は「どういう女」じゃないのか。

 「君はいい女だね。」p.146
 「それどういう意味?ねえ、なんのこと?」「言って頂戴。それで通ってらしたの?あんた私を笑ってたのね。やっぱり笑ってらしたのね。」
「くやしい、ああっ、くやしい。」p.147

 
 夜になるたびに「帰る」という駒子。浜松に居るという旦那は別にして、「島村」だから部屋まで来るのだ。
 「芸者だから」男の相手をする女だと云う風に思われたくないのだろう。
 「水商売の女」ということで、自分の真剣な気持ちが笑われることを恐れる駒子。
 その実、自身は肉体的に島村に惹かれている。
 「いい女だね。」この聞き違いによって、彼女は自分でそのことを露呈してしまう。
 そう考えると、幾度となく言う「悲しいわ」も意味深である。
 極め付けがこの言葉。男を拒めない悲しい女の性をよく表している。
 「私が悪いんじゃないわよ。あんたが悪いのよ。あんたが負けたのよ。あんたが弱いのよ。私じゃないのよ。」p.36

 おそらく島村は、早いうちから彼女の肉体よりもその精神性に惹かれているのだろう。(多分…)
 駒子を象徴する言葉として何回も出てくる「清潔」と「徒労」と「透明」。
 彼女の最初の印象から「清潔」という言葉を連呼している。
 また、彼女を「透明な体」と表すことからも単に「水商売の女」というレッテルのみで駒子をみている感じは薄い。
 「水商売の女である自分」にこだわっているのは駒子の方なのだ。
 読書が好きで日記をつけ、人が散らかしたそばから片付けていくほどのきれい好きさ。
 譜面だけを頼りに三味線を真剣に稽古する生真面目さ。
 島村の言うところの「徒労」ともいえる行為を真剣に行う彼女に、彼は憧憬めいたものを感じ惹かれている。
  全く徒労であると、島村はなぜかもう一度声を強めようとした途端に、雪のなるような静けさが身にしみて、それは女に惹きつけられたのであった。p.40


  一方で、駒子の島村に対する想いは次第にエスカレート。だんだん執着めいてきてちょっと怖い。

 一日に二度も異常な時間に暇を盗んできたのだと思うと、島村はただならぬものが感じられた。p.123

 撥入れだとか、羽織だとか、なにかしら持って来たものを、彼の部屋へ置いて帰りたがった。p.125


  「つらいから帰って頂戴。もう切る着物がないの。あんたのとこへ来る度に、お座敷着を変えたいけれど、すっかり種切れで、これお友達の借着なのよ。悪い子でしょう?」島村は言葉も出なかった。P.145,146

 思いつめていく駒子を目の当たりにした島村は、雪国を離れる決心をする。
 しかし、こうした島村のどうしようもない心境が細かく描かれていることで、彼がゲスだという感じはあんまりしない。

雪国

・引用文献:「雪国」川端康成著 新潮文庫(2006)