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懐古的日本文学

主に近代以降(明治・大正・昭和)の日本文学、大衆小説の紹介や勝手な分析と感想、その他人文社会学系の本の紹介も。

②「浮雲」 林芙美子/1949年

「浮雲」 林芙美子  1949年(昭和24)
 ~薄幸だがずぶとい女とダメ男の放浪記~


 この作品は、戦後という暗い時代にもかかわらず人物描写の巧みさが何回読んでも上手いなと感じ、好きな作品だ。
 戦後の荒廃して殺伐とした空気や、闇市やバラックの立ち並ぶ東京のどんよりした様子、物資不足でまずそうな食べ物の味やにおいまで伝わってくるようだ。
 仏印という外地が舞台なのは珍しいと思って興味を持ち、その言葉回しや描写に惹かれて林芙美子のファンになってしまった。
以後何回か読み直している。
 芙美子は主人公でも決して美化して描くことはしない。いくら主人公が自分の分身だとしても、自身の内面と理想を混ぜて、多少取り繕ったりキレイなことを書こうとしたりしてみたくなりそうだが…
私生活をさらけだして、人間のありのままや負の感情、鋭い筆致で描き出すところが、私を含め多くの人々が彼女の小説に惹かれる所以だろう。


~あらすじ~
 主人公ゆき子は終戦後、農林省のタイピストとして派遣されていたフランス領インドシナ(仏印)から引き揚げてくる。
仏印で出会い、恋仲となった既婚者である富岡と、帰国後結婚の約束をしていたゆき子だが、いざ帰国してみると富岡の態度は煮えきらない。それでも二人は仏印時代の思い出を肴に、不毛な会瀬を繰り返す。
心中を企てるも結局死ねず、富岡は心中しに行った伊香保で出会った若い女・おせいに生きる活路を見いだす。
  一方ゆき子はそんな富岡に愛想をつかし、GIのオンリーになり、その後昔関係のあった義兄・伊庭の世話となる。伊庭は新興宗教の協会で働き、インチキ商法で儲けていた。
 しかし、ひどい男とわかっていながらも、富岡が忘れられないゆき子は、伊庭の宗教協会の金を持ち逃げして富岡と逃避行を企てる。やがて二人は雨の屋久島へとたどり着く…。


見どころ(以下、物語の核心部分を含みます。)
①ゆき子の男性放浪記
 
 主人公ゆき子はごく普通のどちらかといえば地味な女である。
なので、可愛がられたことのない女性特有の嫉妬心や、ひがみ根性剥き出しの底意地のわるい嫌な部分が書き出されている。
同僚の李香蘭似(すごい例え)の春子に嫉妬するが、日本女性一人という任地先のダラットでは急にモテるようになる。
このひがみ時代と男性からちやほやされる優越を知ったゆき子の描写が面白い。
女性が境遇によって周囲からの扱われ方が変わり、自身の心情も変化するというのを、作者は身をもって知っているんだなあととても共感してしまう。

男を手玉に取るゆき子↓
「あなたがあんまり私をかわいがってくれるから、私、加野さんをからかってしまったのよ。―でも加野さんなら、私と喜んで死んでくれる人ね。(中略)二人の(恋の)伴奏者としては申し分のない人物よ」
「君はひどい女だね」
「そうかしら……。でも、女って、そんなところもあるンじゃない?」p.88


 本作にはゆき子と深く関わる二人の男性・富岡と伊庭が登場するが、中でも伊庭は男のいやらしさを集めたような性格である。
伊庭はゆき子の親類の嫁ぎ先の親戚なのだが、夜中にゆき子の部屋に押し入り処女を奪った上に三年間も愛人のように取り扱う。さして抵抗もせす、それに甘んじてるゆき子もゆき子だが…
伊庭は戦後は新興宗教を立ち上げ、嘘八百とはったりでボロもうけを果たす。そんな中でゆき子は彼とよりを戻したりしているが、そんな男の世話になどなりたくない…。ずうずうしくゆき子の友人・春子の手を握っていたり、人前で耳垢をほじくったりしているところも嫌だ...。
普通なら顔を見ることさえ反吐が出そうだが…
ある意味、昔を懐かしみ仏印時代を乞うあまり、自分の中で時が止まってしまっている富岡よりも、時代への適応能力があるといえるが。
 家父長制度は今より強く、女性が経済力で一人立ちすることが難しかった時代、男性にすがり付いていくのが生きる術でもあったのだろう。
 とにかくひどい目に合わされても新たな男を見つけては、追いかけていくゆき子がいじらしい。


②女を引き付ける男・富岡
 富岡は冷たい男である。
にもかかわらず、女が寄ってくる。ゆき子、仏印のニウ、伊香保のおせい、東京の飲み屋の娘、鹿児島の小料理屋の女など行く先々の女に好感をもたれる。富岡は女に対して積極的行動をしてるわけではなく、むしろ愛想がなく、失礼な態度をとったりもする。
そんな男に女側の方が積極的になるのは、生来の異性を惹き付ける色気というものもあろうし、インテリで望洋として掴み所のないところが良いのだろうか…。
しかし彼は長く付き合えば付き合うほどクズっぷりを露呈させていく。ゆきこを道連れに心中を企てるが、結局我が身が可愛く、新しい女と出会ったこともあり、それを取りやめる。戦後の荒廃した社会情勢や気分もあるだろうが、就職を斡旋してくれる奇特な友人も多数いながら酒を飲みながらブラブラしている。昔を恋しがり、口先ばかりの男なのである。

「可愛いから未練があるンだ。死ぬのは痛いからね......。死んでしまうまでの一瞬の痛みの怖さなンだ。これは怪我のような痛みじゃないからね。命を落とす痛みなンだ。仲々死ねない。自分が可愛いンじゃなく、命に未練があるからなンだ......。君、一杯やらない?」p.232
「君は死ぬ気になった事はないのかい?生きたいから、死ぬ事も考えるンだよ。ー死ぬのは淋しいと考えたから、こうして酒を飲むんだよ」p.237

また、一時期でも愛し合ったゆき子への感情はとても冷たく、その冷酷さを冷静に観察しているところがまた不気味である。

「こうした荒れた旅館の一室で、秘密な女とあっている事よりも、家の茶の間で、しゅんしゅんと湯のたぎる音をきいて、邦子のそばで新聞に目を通しているときのほうが愉しいと思えた。何と云う事もなく、何故、ゆき子は仏印で死んでくれなかったのだろうと、怖ろしい事も考えるのだった。」p.102

そして、妊娠したゆき子に対して、口先だけで生んでほしいといいながら、何も連絡をよこさない。
「五千円の金を工面して送ったが、それは、子供をこの世から消してくれた、ささやかな祝いの選別でもあった。」p.301


③なれ合った男女がお互いに向ける意地悪な目線
 戦時中、内地での喧騒を離れて、仏印で華やかな生活を送っていたゆき子と富岡は、日本人の少ない場所で出会い、恋に落ちるというドラマチックな展開から、お互いがよく見えるフィルターがかなりかかっていた。
 また、ゆき子に思いを寄せる当て馬・加野の存在も彼らの恋をより一層盛り上げるのに一役買った。 
 しかし、戦後引き揚げて荒涼とした東京の現実に触れると、二人がお互いに向ける視線は冷たいシビアなものへと変化していく。

「仏印では、あんなに伸々としていた男が、日本へ戻ってから急に萎縮して、家や家族に気兼ねしている弱さが、ゆき子には気に入らなかった。」p.100
まさに夢から覚めた恋人たちといったところだろう。とにかくお互いを観察するさまが、意地悪なのだ。
 
とりわけ富岡のゆき子を見つめる目線は、容赦がない。
富岡は二本目の酒を注文して、化粧をしているゆき子の平べったい顔を呆んやり見つめていた。この顔が、外国人に好かれるのかなと、妙な気がした。卑しい顔だった。」p.169
「富岡はゆき子に復讐するような眼で、酔っぱらいの化粧のはげた、醜いゆき子を嫌悪の表情でみつめた。この女との幕は終ったような気がした。」p.220
「車窓へ乗り出してみていると、外套を着こんだ背中が、もう、盛りの女を過ぎた感じのみすぼらしさに見えた。(中略)この四五日の同棲で、目の下は三角に薄暗くなり、唇の皮が割れて、紅が筋のなかに固まっていた。」p.398



ゆき子による富岡の観察
「顔がぴかぴか膏で光り、仏印の時のような若さはもう消えかけていた。顔が、ひどく疲れて痩せている。(中略)おどけて、くどくどと喋っている富岡の紫色の唇が、ゆき子には印象的だった。中略眼が濁り、髪が額にたれさがっている。」p.236
「これが、今日まで恋こがれていた富岡だったのかと、二ツ三ツ年を取った、富岡のすっかり変わった様子を、ゆき子は目尻を掠めて眺めながら、自分の冷酷さが不思議な気持ちだった。」p.355

金銭的に困っていたり、行き場のないときにゆき子を訪ねてくる富岡に対して...
「私は、うまく暮らしてるけど、いったい、あなたはどうなのよ......。泥鰌のように泡を吹いてるじゃないの?ゆき子はそんな気持ちだった。」p.142
「ゆき子は、後ろ向きになりながら、ふっと舌を出した。とうとう富岡が、落ちぶれてやって来たと思うと、胸のなかが痛くなるほど、爽快な気がした。」p.353


 なれ合いというものだろうか、熱い恋はとうに終わり、お互いに愛想をつかしていながら、それでもずるずるべったり離れなれない二人というのは、破局復縁を繰り返す熟年カップルさながらであり、お互いを知り尽くした気楽さが楽そうだと思ったりもした。

浮雲

引用文献「浮雲」林芙美子 新潮文庫(1953) 473p