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懐古的日本文学

主に近代以降(明治・大正・昭和)の日本文学、大衆小説の紹介や勝手な分析と感想、その他人文社会学系の本の紹介も。

③「舞姫」 森鴎外/1890年

「舞姫」 森鴎外 1890年(明治23)
~順風満帆に立身出世への道を歩んできた明治時代のエリートの苦悩~


 全編文語体で書かれた、鴎外の名作。流れるような文章がとにかく美しく、朗読で聞きたい。
これは高校のとき教科書に載っていて、古典を読むような感覚だった。
文学史に知識のない当時の私は、この時代はこの文体で書くのが普通だったのだろうか...でも漱石は口語で書いているよな...と混乱した。
 二葉亭四迷が「浮雲」で初めて言文一致体を用いたのが1887年だから、小説文体は作家や作品によりけり、日本文学の黎明期だったのだろう。

~あらすじ~
 明治初年、法学士となった太田豊太郎は、洋行を命じられ華々しい官僚としての道を着実に歩んでいた。
赴任先のベルリンでは、一人のドイツ人少女・エリスと出会い、相思相愛の中となる。
 しかし、貧家の出で舞台で踊り子をしているエリスとの交際を見咎められた豊太郎は、官長により帰国を迫られる。
エリスとの生活は捨てがたい豊太郎は、友人・相沢謙吉の計らいで、新聞社の通信員としてなんとかベルリンにとどまることができるようになるが、立身出世への道もまた捨てがたく、両者の間で苦悩する。



●見どころ(以下、物語の核心部分を含みます。)
①明治エリート・豊太郎の華麗なる経歴
 「余は幼きころより厳しき庭の訓を受けしかひに、父をば早く喪ひつれど、学問の荒み衰ふることなく、旧藩の学館にありし日も、東京に出でて予備校に通ひしときも、大学法学部に入りし後も、太田豊太郎といふ名はいつも一級の首にしりされたりしに、一人子の我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし。
 一九の歳には学士の称を受けて、大学のたちてよりそのころまでにまたなき名誉なりと人にも言はれ、某省に出仕して、故郷なる母を都に呼び迎へ、楽しき年を送ること三年ばかり、官長の覚え殊なりしかば、洋行して一課の事務を取り調べよとの命を受け、我が名を成さんも、我が家を興さんも、今ぞと思ふ心の勇み立ちて、(中略)忽ちこの欧羅巴の新大都の中央に立てり。」p.9


 順調に出世への道を歩んできた優秀さが、つらつらと書かれている。
ほかの鴎外の本でも、ひがみかもしれないが自慢?と思える記述が多々あると思う...(「美術品の如き妻」や、昼は職務に励み、夜中に執筆している等々)

 鴎外は帝大医学部を19歳で卒業後(飛び級)、医学士として陸軍省に勤務。
ドイツ留学後、軍医として日露戦争に従軍。最終的な役職は陸軍軍医総監。絵にかいたようなエリートである。
 語学も堪能で、ドイツ語、フランス語、英語を習得。哲学にも詳しい。
しかも日本語の文語体でこんなきれいな文章を書ける。
 これだけ何でもできたら自慢したくもなるだろう...私でもそうする。
 ドイツ人のエリスのドイツ語なまりを正し、フランス語を教えていたというくだりだけでも、高校生だった私は、想像できないくらい頭の良い人なんだなと思った。

②豊太郎の苦悩
 豊太郎は、洋行前からだんだんと、生まれてから今まで両親や官長のいうままにただただ機械的に勉学や仕事に励んでいた自分に、ふと疑問を抱くようになっていく。

「余は父の遺言を守り、母の教へに従ひ、人の神童なりなど褒むるがうれしさに怠らず学びしときより、官長の良き働き手を得たりと励ますが喜ばしさにたゆみなく務めしときまで、ただ所動的、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、(中略)奥深く潜みたりしまことの我は、やうやう表に現れて、昨日までの我ならぬ我を攻むるに似たり。」p.11,12

「みな自ら欺き、人をさへ欺きつるにて、人のたどらせたる道を、ただ一筋にたどりしのみ。」p.12

・エリスとの出会い
 「今このところを過ぎんとするとき、鎖したる寺門のとびらによりて、声を呑みつつ泣く一人の少女(をとめ)あるを見たり。」
「年は一六、七なるべし。かむりし巾を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる布は垢つき汚れたりとも見えず。
我が足音に驚かされて顧みたる面、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。
この青く清らにて物問ひたげに愁を含める目(まみ)の、半ば露を宿せる長きまつげにおほはれたるは、なにゆゑに一顧したるのみにて、用心深き我が心の底まで徹したるか。」p.14


―まさに一目ぼれ、射貫かれたといった感じ。
 余に詩人の筆なくば~とはいうが、十分詩人である。
エリスの頼りなげで儚そうな美しさ、出会いの場面がとてもよく伝わってくる。
 この後豊太郎は「なにゆゑに泣きたまふか」と声をかける。
ドイツで日本人など珍しかった時代、エリスは警戒心もなくそれに応じる。
豊太郎の真面目さが伝わったのだろう。

 エリスと出会って愛を知ったことで、彼は心の充足感・本当の幸せというものを知る。
「貧しきが中にも楽しきは今の生活、棄てがたきはエリスが愛。」p.26

 しかし、この時代に出世と貧しい異国人の結婚、両者が両立する道はない。どちらか一方を選ばなければならない。
それが豊太郎の深い苦悩となっていく。


③良友・相沢謙吉
 相沢謙吉は、この時代の模範的なエリートだ。立身出世こそが人生の最大の目的だと信じて疑わない。
明治時代の日本は発展途中の新しい国である。この時代の優秀な知識人や学士たちは、国の発展に寄与しなければ義務がある。
そのために莫大な国費をかけてわざわざ洋行させているのだ。
 だから、異国の女ごときに執着して、出世の道を自らくじこうとしている豊太郎の気持ちがわからない。
そのため、豊太郎が病気で臥せっている隙に、豊太郎が突然日本に帰国することになったことを、妊娠しているエリスに告げる。
その結果エリスはパラノイア(ノイローゼ?)となり、最終的に精神病院に入れられてしまう。

豊太郎が日本に戻ってポストを得られるように斡旋してくれる相沢は、友人思いの男なのだろう。
 しかし、豊太郎の彼に対する心中や......。
「この恩人は、彼(エリス)を精神的に殺ししなり。」
「ああ、相沢謙吉がごとき良友は世にまた得がたかるべし。されど我が脳裏に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり。」p.35
 


④明治時代の立身出世
 封建制時代の江戸時代とは違い、明治は、身分の有無にかかわらず(多少はあろうが)、
立身出世のチャンスがある。司馬遼太郎の「坂の上の雲」みたいに。
 意欲のある者にとっては、勉学を頑張りさえすれば、個人が新しい国家建設の一助になることができる。
個人の力で歴史を動かしていく場面に立ち会うことができるかもしれない。
まさに自分たちが新生日本を作り上げているのだという気概が、多かれ少なかれ明治の知識人にはあったのかもしれない。
 司馬遼太郎氏がそんなことを言っていたと思う。

 また、この時代の人々の親や家への恩義というのも現代よりかなり強い。
出世して立派になることが家名を立てること、親への最大の親孝行であったのである。
 それらは、仕事意欲を駆り立てる反面、そのために切り捨てなければならないものもあったことだろう。
これは現代の仕事人間の日本人にも言えると思う。

 滅私奉公。世間的から見れば、出世して官僚となり、国のために働くことは、輝かしく成功した人生に見える。
しかし豊太郎のように自分の心を殺して、国や職務に励む知識人の心中は複雑である。


●余談
 関連本として、谷口ジロー作画、関川夏央原作の「凛冽たり近代なお精彩あり明治人」シリーズの第二巻「秋の舞姫」の漫画がとても良い。
鴎外とエリスの出会いから、エリスが東京にやってきて、二葉亭四迷など実在の人物と交わるといったノンフィクションを絡めた話が、美しい絵で描かれている。

舞姫



・引用文献:「舞姫」森鴎外 岩波文庫(1981) 全29p