FC2ブログ

懐古的日本文学

主に近代以降(明治・大正・昭和)の日本文学、大衆小説の紹介や勝手な分析と感想、その他人文社会学系の本の紹介も。

④「秘密」 谷崎潤一郎/1911年

「秘密」 谷崎潤一郎 1911年(明治44)
~「秘密」を追い求めた男の成れの果て~


  谷崎の初期の短編。彼特有の嗜好やフェティシズムが色濃く反映されている。(彼の小説はほとんどそうであるが…)
彼の短編の中では、個人的にかなり好きなお話…というか文章が凝っていてよい。
 モダンな浅草六区やさびれた裏道など、当時の下町の様子が思い浮かぶ。
 生々しいのに幻想的。特に女性の描写力と表現力の高さは一読の価値あり。
読む者を倒錯的な幻想世界へと導く。
 
~あらすじ~
「私」は世間から隠遁して、華やかな下町の隙間に見つけた秘密めいた住みかで、探偵小説や犯罪小説に耽溺する日々を過ごしていた。
 ある日、「私」は古着屋で女物の縮緬を見つけてどうしてもそれが着てみたくなり、それを機に化粧を凝らして女装を始めるようになる。
次第に女装姿で頻繁に夜の街に繰り出すようになった女の「私」は、夜の映画館で、昔一時期だけ関係を結んでいたT女に会って…



●見どころ(以下、物語の核心部分を含みます)

①「私」独特の嗜好・フェティシズム
・普通の刺激では満足できない
「その頃の私の神経は、刃の擦り切れたやすりのように、鋭敏な角々がすっかり鈍って、余程色彩の濃い、あくどい物に出逢わなければ、何の感興も湧かなかった。」p.86
「普通の刺戟に馴れて了った神経を顫い戦かすような、何か不思議な、奇怪の事はないであろうか。
現実をかけ離れた野蛮な荒唐な夢幻想的な空気の中に、棲息することは出来ないであろうか。」p.87


・「秘密」に惹かれる
  「私は秘密と云う物の面白さを、子供の時分からしみじみと味わって居た。かくれんぼ、宝さがし、お茶坊主のような遊戯―殊に、それが闇の晩、うす暗い物置小屋や、観音開きの前などで行われる時の面白みは、主としてその間に「秘密」と云う不思議な気分が潜んで居るせいであったに違いない。」P.87

・美しい衣服や生地の感触に興奮
 「一体私は衣服反物に対して、単に色合いが好いとか柄が粋だとかいう以外に、もっと深く鋭い愛着心を持って居た。(中略)丁度恋人の肌の色を眺めるような快感の高潮に達することが屡々であった。」P.89

それらが高じて、秘密裏に化粧して女装を始める「私」…。
「文士や画家の芸術よりも、俳優や芸者や一般の女が、日常自分の体の肉を材料として試みている化粧の技巧の方が、遥かに興味の多いことを知った。」P.90


②昔の女との邂逅
 女装姿の「私」は、夜の映画館で、昔、上海行の船舶の中で関係を持ち、捨ててしまった(すごい表現)T女に再び出会う。
――自分の扮装に自信を持っていた「私」であったが、再会したT女は女装姿の「私」よりもはるかに美しかった…(当たり前だけど)

「女らしいと云う点からも、美しい器量からも、私は到底彼女の競争者ではなく、月の前の星のように果敢なく萎れて了うのであった。」P.95

「顔面の凡ての道具が単にものを見たり、嗅いだり、聞いたり、語ったりする機関としては、あまりに余情に富み過ぎて、人間の顔と云うよりも、男の心を誘惑する甘味ある餌食であった。」P.95

―さぞかし妖艶なのだろう…。この文章を見るたびに、私は勝手に、女優の若尾文子さんとか有名な昔の芸者<下谷のさかえ>さん(興味のある方は検索してほしい。とても妖艶な美人で度肝を抜く)最近では石原さとみさんを思い出してしまう…。

女装した自分より美しい昔の女に対し、「私」の心は嫉妬→悔しさ、憤怒→恋慕→征服欲へと目まぐるしくゆれ動く。
女装姿で負けてしまったから、彼女を男として征服してみたいなどと考えはじめ、もはや倒錯しすぎていて、よくわからない。

そして、手紙をひっそり彼女の袂に入れる「私」↓
「今夜久し振りに君を見て、予は再び君を恋し始めたり。(中略)明晩もこの席にきて、予を待ち給うお心はなきか。(中略)ただ願わくは明日の今頃、この席に来て余を待ち給え。」P.96
―虫がいい上に、最後ちょっと上から目線…

以外にも、T女の返事は好感触 ↓
「それにつけても相変わらず物好きなる君にておわせしことの可笑しさよ。(中略)
妾(わらわ)に会わんと仰せらるるも多分はこの物好きのおん興じにやと心許なく存じ候えども、あまりの嬉しさに兎角の分別も出でず、唯仰せに従い明夜は必ず御待ち申す可く候。」p.97


映画館で手紙のやり取りをするなんて、秘密っぽくていい。
「私」に対して、対面では驕慢な態度を見せていた女だが、手紙では、再会できて嬉しい!という喜びやしおらしさが出ていて可愛い。ギャップが良い。(これも手管か…?)

会瀬の待ち合わせも、女は自分の家は知らせず、目隠しして人力車で、とある場所へと「私」を連れていく。もはや全てがプレイ。「私」もかなり大喜びである。

しかし、彼女との関係でも、秘密めいたやり取りや探偵趣味に興奮を見いだしていた「私」は、女の素性を知った途端に彼女に興味を失ってしまう。ひどすぎる…

女はこういう「私」の性癖を知り尽くして、衣装を様々変えて、嗜好を凝らしたり、素性や家を秘密にしたり色々手を尽くしていたのに…。
そして女は、「絶対に自分の素性を探ろうとしないで下さい」と懇願していたのに…。
なんか童話の「鶴の恩返し」とか「みるなのくら」みたいだ。
全てを知ってしまった瞬間に魔法がとけてしまう。
それなのに、「私」は自分で、彼女の秘密を暴いてしまった。
果たしてこんな男を満足させられる女性はいるのだろうか…
彼の迷宮は続く。


●余談
 谷崎は、女性が自分の性癖を飲み込んだ振る舞いをしてくれたらいいな、という妄想を常々抱いているらしく、短編「白昼鬼語」でも、美しい女の犯罪を暴くために、女に犯罪者の演技をさせるというぶっとんだ話がある。面白い。
他にも、「蓼食う虫」や「富美子の足」でも彼の嗜好の望みを叶えてくれる女性が登場する。
(広い目で見ると彼の小説のほとんどは、彼の好みに合った女性が出てくる。それぞれモデルもいる。)

 実際にはそんな都合の良い女がいるわけもないのだが、
(最後の妻で谷崎最愛の松子夫人は色々彼の嗜好に付き合っていたようだが)
 自らの欲望を自給自足する文章を書く能力のあるところが、彼のすごさだろう。

秘密

・引用文献:「刺青・秘密」谷崎潤一郎 新潮文庫(1969)より「秘密」