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懐古的日本文学

主に近代以降(明治・大正・昭和)の日本文学、大衆小説の紹介や勝手な分析と感想、その他人文社会学系の本の紹介も。

⑨-1「三四郎」夏目漱石/1908年

「三四郎」夏目漱石 1908年(明治41)
~新時代の学生・三四郎の青春と恋の苦悩~


 個人的に、明治の青春という感じがとても好きである。全体を通してどこか明るさが感じられ、現代と相通ずるものがある。同様の理由で「坂の上の雲」の前半部分も相当好きなのだが…
 主人公が、夢と希望に満ちて上京、国と時代が活気に満ちていて東京はその中心地。見るものすべてが真新しく圧倒される感じ、新しい出会い、友情…
この筋だけなら、明治を描いた小説としては、多々あるのだろう。私が漱石作品で「三四郎」を特に好きな理由は、多分にヒロイン・美禰子の存在によるところが大きい。美禰子が出てこなければ、本作の面白さは半減しただろうとさえ思う。

 また、漱石作品は主人公の心情描写や周りの情景描写が細やかで、描く性格がとても日本人的。かなり共感できる。主人公・三四郎は静かなたちなのであまり感情をあらわにしないが、心中では常に感情の嵐が吹き荒れているのが面白い。
 人物の動きも逐一細かく、三四郎と美禰子の出会いの場面など、文章を読むとスローモーションで脳内再生できるほどである。  理屈っぽい言い回しにいちいちユーモアを挟んでくるのは、もしかしたらイギリス文学や留学生活から覚えた技かもしれない。
 上手い文が多いので、引用したい文章が多すぎて困った。

~あらすじ~
 帝国大学に入学するために熊本から上京してきた三四郎は、東京で、同じく帝大生の与次郎や彼の下宿先の広田先生、同郷出身の野々宮さんなどに出会い、親しくなる。
 そんな中、野々宮さんの友人の妹・美禰子と出会い、惹かれていく三四郎だが、彼女の本心がわからず、心の中で苦悩するようになる...


①三四郎の東京生活と明治の青春
・新しい価値観
 三四郎は、上京してくるまでは、いくら書物で学問を学んでいるとはいえ、地元の熊本のみが彼の生活や思考を作る全世界であった。上京し、日本だけではなく世界を見据える目を持つ、新時代の知識人の価値観に触れる。

三四郎:「然しこれからは日本もだんだん発展するでしょう」
広田:「亡びるね」「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」
    「日本より頭の中の方が広いでしょう」「囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓の引倒しになるばかりだ」
  この言葉を聞いたとき、三四郎は真実に熊本を出た様な心持がした。同時に熊本に居た時の自分は非常に卑怯であったと悟った。P.21


三四郎が「東京に来た」ということを強く感じる象徴的な場面だと思う。(まだ汽車の中だが…)大都市の西洋建築や文明的な設備、人口の多さよりも、広い思考や価値観を持つ人に出会ったときの新鮮な驚きの方が、彼により強く「東京」を感じさせた。

 ここで彼が自分を「卑怯」と評したのが、興味深い。九州は明治維新を成し遂げた志士たちを多数輩出した土地だ。
 このような風土で生まれ育った三四郎は、「日本の未来は明るい」と信じて疑わなかった。そのような周りの意見をうのみにして、 自分の頭で物事を考えようとしなかった自分や、当たり前を当たり前と信じて疑うことをしなかった自分を「卑怯」だと思ったのだろう。

  しかし、広田先生は先見の明がある。この「亡びるね」発言に、三四郎は、「どうも日本人じゃない様な気がする」とすら言っている。日露戦争に勝利した直後で「これで日本も一等国」と世間は沸き立っている時代である。
 この時点でこの先起こる泥沼戦争をどうして予測できようか。
 広田先生にこの発言をさせた漱石は、その留学経験から、広い視点で日本を見ることができていたのだろう。
 その前にも「どうも欧米人は美くしい。お互いは哀れだなあ」と日本を卑下する言葉が満載。
 漱石先生の「調子に乗るな、世界と肩を並べるにはまだ早い」という訓戒が込められているような気がする。

・新しい仲間
 三四郎は呆れ返った様な笑い方をして、四人の後を追掛けた。四人は細い横町を三分の二程の広い通りの方へ遠ざかった所である。この一団の影を高い空気の下に認めた時、三四郎は自分の今の生活が熊本当時のそれよりも、ずっと意味の深いものになりつつあると感じた。P.112

 三四郎はある日、東京で親しくなった、美禰子や広田先生、野々宮さんと彼の妹のよし子と一緒に菊人形を見に行く。この一文は、三四郎が、単純に新しい仲間ができて喜んでいる文章ではない。(もちろん、喜んではいるのだが。)
…最後まで読むとそのことがわかってくる。

 彼は東京に来てから、自分を取り巻く世界を、第一から第三までに区分して考え始めた。
 第一は故郷・熊本を取り巻く世界。第二は広田先生、同郷出身の野々宮さんのような、世間の評判を気にせず、出世を求めず、自分の研究に勤しむ暮らしをしている人々。第三は、立身出世を果たし、美しい女性とともにある世界。
 まさしくこの瞬間、彼と新しい仲間は、第二第三の世界にいる。三四郎はまだ自分がどちらに属するのかわからない。それくらい、彼の未来はまだ遠い。

  いつも野々宮さんと美禰子が親しい様子なのが気になり、彼らの仲をずっと疑って、二人が結婚するのではないかと考えていた三四郎だが、これが全く見当違いなことがのちに判明する。
 この区分で分けるならば、野々宮さんは第二、美禰子は第三の世界の住人。

 美禰子は第三の世界の住人たる人と結婚してしまう。この小説では異なる世界の人々は決して交わらない。
 ましてや、この区分に区分けできない学生・三四郎には、美禰子の結婚相手として名乗りを上げる資格すらないということになる。
 
 このような切ない展開を踏まえて読むと、上記の一文は、在りし日の思い出の描写として美しいワンシーンである。

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・「三四郎」夏目漱石 新潮文庫